私の B面

 私が金沢大学に赴任してまだ数ヶ月(最近1年となりました)。金沢を十分 に知ったとは言えないが、北陸の冬を一度は経験し、いろいろ学んだ。 東京 に住んでいた当時、北陸の金沢が意識に昇ったことはほとんど無かった。宇宙 物理の実験研究室が北陸には無かったのが一番の理由だろう。 唯一あるとす れば、それは「雪の兼六園と雪つり」のテレビの映像くらいだ。 自分が金沢 に赴任することになって、初めて金沢のことを調べ始めたわけである。 もち ろん九谷焼や漆の塗り物、金箔工芸そして加賀友禅あたりから入ったのは言う までも無い。これに和菓子や加賀料理を加えるべきだろう。しかし和菓子や加 賀料理を除くと、これら工芸を極めようとするとばく大な投資が必要であるこ とはすぐに分かった。 輪島の盆は一つ数万から100万円。気にいった九谷焼 や大樋焼も数十万円の世界である。 しかし金沢に来たからには、加賀友禅か 牛首の紬を一着はなんとしても買ってみたいと思っている。 誰に着てもらう かが問題だが。



 そのような私に、お金を必要とせずに加賀友禅や九谷焼と同様な感動を呼び 起こしたものが金沢にはあった。 杜の都と言えば仙台を思いだす。しかし本 当の森の都は金沢だろうと思う。空襲を受けた仙台と、空襲を受けなかった金 沢では、そこに育つ木や木を囲む街におのずと年輪の違いがある。 何と言っ ても金沢では街の一番の中心が森と川なのである。しかも巨木と古木である。  これは仙台のけやき通りや街外れにある青葉城のようなものとは一味違う。 街の繁華街の一番の中心がもっとも深い緑に、落ち着いた緑に覆われているの である。言うまでも無く兼六園と金沢城、それを囲む本多の森や卯辰山である。  ここでは兼六園内は別としたい。兼六園は完全に管理された森で、しかも多 くが移植を受けた木である。本来の自然植生では無い。ペチュニアを好きにな れないように、ちょっと手を出しかねるし、まあ正直言って、兼六園は対象と なる木が多すぎる。 そこで、兼六園を除いた金沢市街地の巨木と古木としよ う(兼六園 山崎山の氷室跡には巨木が残る)。

 木にどのようなイメージを持つかは、その人の育った環境に大きく影響され るだろうが、話しはそう単純ではない。東京のような都会の中で、しかも戦災 で裸地になった住宅地で育った人は、木を知らない場合が多い。だから木に愛 着が無いわけではない。都会のマンションに住んでいる人にとって、巨木を望 むのは難しいがベランダの花を大切にしている人は多い。木を必要としたとし ても、木が無くては生活が立ち至らないようなことは無い。まず寝る場所と仕 事があれば、全く緑が無い下町の住宅地でも生活に支障は無いのである。つま り身近かに木がなければ生活ができないわけではない。大阪近郊の住宅地によ く見られる、無計画としか言い様のない密集した住宅地で、全く一本の木が無 くとも人は生活できる。それにつけてもアフガニスタンの映像を見ると一本の 木も無いことを知る(恐ろしい土地だ)。 恐らく「木を渇望する」のは暇な 人の病気のようなものであろう。 その病人の一人が私だろう。 そう病人な のである。 木に深い愛着を覚えるのである。 

 金沢に赴任した時は晩秋だった。秋、東京の多摩地方では、ほとんど全ての 木が葉を落とす。多くが「くぬぎ」や「こなら」に代表される「どんぐり」の 木だがらである。その時期、ここ「雪国金沢?」では多くの木が深い緑の葉を 残していることにまず驚いた。何が「雪国だ!」 松が多いようだった。しかし問 題は、深い緑の代表と思われるもう一種類の木の名前を私は言い当てることが 出来なかったのである。 兼六園を散歩していた「かみさん」と私は、その一 本の木の名前をどうしても言い当てることができなかった。つやつやとした葉 と黒い幹から、それらしいと思われる名前は「ゆずりは?」「まてばしい?」 いや「たぶ?」、「かくれみの?」と木に並外れて詳しい「かみさん」が幾種 類かを選んで指摘したが、それを私は強く否定した。 周りをながめ渡すと、 その木は県庁前旧金沢大学付属小学校跡地、卯辰山へつづく道、白鳥路、そし て究極の巨木は大手堀の崖といたる所にあった。 金沢城のお堀通りの堀の崖 に深々と覆いかぶさるこの巨木を見るに及んで、金沢の木は「利家とまつ」の 松ではなくて、この木であることを実感した。 松は兼六園を中心とした小立 野台地に限られるが、この木は街のいたるところにあり、しかもその多くが巨 木なのである。

大手堀に覆いかぶさる 木。 始めは「ゆずりは」か?と思った。 樹齢〜400年

 もったいぶった言い方はよそう。地元の人から初めて聞いた名前は「ダモ」 だった。寺町に願念寺とよばれる寺がある、この寺の前にも当然この木はあっ た。 この寺は、小杉一笑の追善供養を芭蕉がしたことで有名な寺にもかかわらず 訪れる人はほとんどいない

 塚も動け わがなく声は 秋の風

の句碑がある(「本当に会いたい」と思った人は、来てみたら亡くなっていた)。 その玄関前には菩提樹もあるが、謎の木もあった。その寺のおばさんに、「門 前の木の名前は何だろうか?」と聞くと「ダモ」と答えが返ってきた。 私の 恐れは当たっていたが「ダモ」である。 それは「タブ」あるいは「イヌグス」 の木だったのである。 植物図鑑を調べると、地方によってはこの木のことを 「ダモ」と呼ぶと書いてある(日本巨木図鑑)。 これほどの木を私が知らな い訳は無い。それにも関わらず「タブ」であることを強く否定したかったのは、 「タブ」を私は暖かい伊豆の伊東で見ているからである。「イヌグス」の名前 が示すように「タブ」は温帯の代表的な木「楠」の仲間。「クス」と言えば鹿 児島や宮崎に巨木が多く残る。日本で一番の巨木は「クス:楠」である。そし て「タブ」は「イヌグス」の木だからある。 金沢は「寒い雪国?」との固定観念 を破ることはやはり難しかった。 この木は「タブ」に良く似ているが、なに か別の品種だろうと思いたかったのである。「タブ」は黄八丈の染料を採取す る木でもある。私の「タブ」に関する知識の全ては伊豆や八丈島や宮崎である。 「寒い雪国」の金沢を代表する木が「タブ」であろうはずが無かった。 しかし

 金沢市街の美しさを醸し出す木は「タブ」なのであり、しかも古木である。 

金沢市街の人工植生は「タブ」では無い。 兼六園は「松や桜」であり、兼 六園通りや百万石通りの街路樹は「ふう や すずかけ、かくれみの」であり、 犀川は「桜」、淺野川には「松や柳」も多い。内灘に向かう道は一面「えんじゅ」 であり、内灘の浜は「あかしや」で埋め尽くされる。しかし、私は金沢の自然な植生を代 表する木は「タブ」であると考える。 いまからそれらを紹介しようと思う。 以下は、私が集めた金沢市街の巨木のリストであるが、「たぶ」の巨木が多い。 私が知らない巨木があれば教えていただきたい(でも当面は市街地に限らせて、 金沢大学は 「桂」が多いが巨木ではない)。


巨木は 地上に存在する最も大きな生命体だろうと思う。動かないから、あま り意識されない。知る人ぞ知る、「存在感のある」生命体なのである。樹齢は 数百から千年もめずらしくはなく、 縄文杉は恐らく4000ー8000年ら しい。大きさも高さで40ー50メートルは子供。一部の「セコイヤ」では1 20メートルを越える。 太さで周囲3メートル以上を巨木と分類するが、1 0メートルに達するものも普通だ。 注意したいのは、見えていない地下の根 が、高さとほぼ等しい広がりで根を張っていることだ。いかに大きな体積を占 める存在であることか! しかも、私が見ている木と同じ木を「利家もまつ」 もきっと見ただろう、年輪のことを思うとそれは不思議な存在である。 ある 程度以上に木が大きくなると、もう人業ではその木を「切ることが出来なくな り」、祭られる存在になる。このことが巨木の存在の不思議を言い当てている。 以下の写真の多くの木にも標縄がかけられているのがわかる。

個人的には、これら巨木に抱かれて、樹下で昼寝をすること。樹下でワイ ンをできたら「二人で飲むことに幸せがある」と書いておきます。


神明社   欅
神明社 の けやき。 恐らく金沢市街で一番太い木。 樹齢〜600年。 前は私の車

桜木神社   欅、たぶ
桜木神社の たぶ と けやき。 たぶの美しい林。樹齢〜300年

大乗寺  樅
大乗寺 もみ。「樅の木は残った」で余りにも有名。城の中にもある。 樹齢〜300年

天徳院前 たぶ  
一番古い「たぶ」か? 樹齢 〜400年。隣に止まっているマイクロバスと大きさを比較してみて下さい。


堂形の すだしい  
しいの木。 後ろは県庁である。玄関入口の大きさと木の大きさを比較してみてください。

大樋焼窯元 松。 市街の3箇所に古い松が残るが、一番大きい。樹齢 〜300年。
隣接する美術館にはすばらしい作品が集まる。棟方がこの木を訪れていて嬉しかった。
折り鶴松。

金沢城 すだじい。 城内にも数々の木が残る。印象的なのは「からすさんしょう」 や「もみ」「まつ」だが、やはり巨木となるとこの木だろうか。一番大きい。 樹齢 〜300年はあろう。
金沢城本丸跡の すだじい。

何も言うことはない。ただただ圧倒されるだけである。これも しい である。 この森は繁華街から5分の所にある。


このページを見た人から、金沢市街の巨木は、やはり欅(古名: 槻)が最も 多いのではとの指摘があった。数の上で最も多く、おおいに目立つのは事実だ。 この木は日本中どこに行っても多い。仙台の駅前通りも「けやき通り」と呼ぶ くらいだ。私が住んでいた(いる)関東平野でも、普通の巨木と言えばほとん どが欅と言って間違いない。つまりどこにでもある木だ。これは科学調査では 無いのだから、好きな木からある程度取り上げているのは許していただきたい。 やはり金沢市街を、とりわけ冬を特徴づける美しい木は「たぶ」だろう。しか し指摘に従って、以下でも幾本かの欅(歴博の欅と猿丸神社の欅)を取り上げ た。大きさの代表が神明社なら、これらの欅は金沢で美しい欅であり、歴博の 欅は市街のどこからでも見渡すことができる木でもある。兼六園からつづく本 多の森の一番高いところ、県立歴史博物館の隣にあるこの木は、兼六園と本多 の深い森を突き抜けて、とりわけ高く「そびえ」立つ。遠くから兼六園と本多 の森を見る機会があったら、ぜひ一番背の高い木を探してみていただきたい。 金沢市街の高台のどこからでも眺められるのである。敢えて、冬の姿を写真で は示します。同じサイズの木が2本並んであるのも良い。深い緑を形成してい る。写真は冬の姿。5月のこの木の豊かさは、見た者でないと想像できない。 「まっくろくろすけ」や「こだま」がここに住み着いていても不思議ではない。 さあ、一度見に行ってごらん。本多の森はとても近い(本多の森ではなく、隣 の金沢城で一番背の高い木はなぜか「ポプラ」である。これは明治以降の木だ)。

歴史博物館の冬けやき。


ご要望に答えて、5月の欅。前を歩く人の大きさから この木の大きさを想像してみてください。
5月の欅



一方、猿丸神社にはとても興味を引かれた。猿丸と言えば、あの百人一首で 有名な猿丸だろう。この有名な大夫がどうして金沢に来たのだろうか?

おくやまに もみじふみわけ なく鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき

はとても有名だ。 どうしてここ金沢に猿丸神社があるのだろう? この 写真には3本の欅が写るが、実は見えない所に一番大きな巨木がある。それは たづねて見てほしい。猿丸は、実は柿本人麻呂だとの説もあり、出生を含めて 良く分からない人物です。

猿丸神社のけやき。



参考出品,,,,, 香林坊交差点の水時計。 物理学科の学生なら、この動作 解ける?
水時計。